金沢地方裁判所 昭和35年(わ)166号 判決 1969年12月24日
本店所在地
金沢市長田本町ホ七〇番地
昭和精工販売有限会社
清算人(代表取締役)
浜井伍一
本籍
石川県石川郡美川町神幸町ル一九七番地
住所
金沢市長田本町ホ七〇番地
会社重役
浜井伍一
大正九年一月六日生
被告人会社に対する法人税法違反並びに被告人浜井伍一に対する法人税法違反・所得税法違反各被告事件について、当裁判所は検察官寺西輝泰、横山鉄兵出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。
主文
被告人昭和精工販売有限会社を、判示第一の(一)の事実につき罰金五〇〇、〇〇〇円、判示第一の(二)の事実につき罰金一五〇、〇〇〇円に各処する。
被告人浜井伍一を、懲役六月および判示第二の(一)の事実につき罰金二〇〇、〇〇〇円、判示第二の(二)の事実につき罰金四〇〇、〇〇〇円に各処する。
被告人浜井伍一において同被告人に対する各罰金を完納することができないときは、金五、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。
被告人浜井伍一に対し、この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、証人宮崎忠夫(第五回公判期日に出頭した分)、同上山久男、同太原政雄に支給した分は被告人昭和精工販売有限会社と被告人浜井伍一の連帯負担とし、証人宮崎忠夫(第四回および第六回公判期日に出頭した分)、同小泉渥、同明石宗一、同福島源一、同小森順一、同鶴見他四郎、同山口勇に支給した分は被告人浜井伍一の負担とする。
理由
(罰となるべき事実)
被告人昭和精工販売有限会社(以下被告人会社という。)は、一般金属加工並びに販売を目的として、昭和三〇年九月一九日設立され、昭和三七年八月二日に組織変更により株式会社にするため社員総会の決議により解散したものであり、被告人浜井伍一は、右有限会社設立時からの社員であり、昭和三三年一一月一〇日からはその代表取締役に就任し、右会社設立以来被告人会社の実権を握り、その業務一切を統括主幸していたものであるが、
第一、被告人浜井伍一は、被告人会社の業務に関し法人税を免れようと企て、商品売上の一部を正規の帳簿に記載しない売上除外等の不正な経理を行うと共に収益の一部を簿外預金として蓄積して秘匿するなど不正の方法により
(一) 被告人会社の営業係伊藤輝男および同経理係上山久男と共謀して、昭和三一年九月一日より昭和三二年八月三一日までの事業年度における被告人会社の所得金額は九、三五一、五〇一円(別紙修正損益計算書(一)参照)でありこれに対する法人税額は三、六九〇、六〇〇円であるのにもかかわらず、昭和三二年一一月一日所轄金沢税務署長に対し同事業年度における被告人会社の所得金額は九一、〇〇〇円であり法人税額は三一、八五〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、よつて被告人会社の右正規の法人税額と右申告税額との差額三、六五八、七五〇円をほ脱し、
(二) 前記伊藤輝男および被告人会社の経理係山田純郎と共謀して、昭和三三年九月一日より昭和三四年八月三一日までの事業年度における被告人会社の所得金額は三、八二三、一〇二円(別紙修正損益計算書(二)参照)でありこれに対する法人税額は一、三五二、七七八円であるのにもかかわらず、昭和三四年一〇月三一日所轄金沢税務署長に対し同事業年度における被告人会社の所得金額は五五六、〇〇〇円であり法人税額は一八三、四〇〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、よつて被告人会社の右正規の法人税額と右申告税額との差額一、一六九、三七〇円をほ脱し、
第二、被告人浜井伍一は、被告人会社の前記簿外預金および自己資金を用いて貸金業を営もうと考え、昭和三一年一月頃石川証券金融株式会社(資本金一〇〇万円)を設立し同社名義で貸金業を営んでいたものであるが、所得税を免れようと企て、貸金事業所得については同会社の右資本金相当額のみを同会社の所得として計上し他の大部分の所得を北国銀行等に宮崎忠夫名義あるいは架空名義で預金する等の方法で秘匿し、給与所得については支給者である被告人会社の前記簿外預金中から受領したうえ右貸金事業所得と同様の方法で秘匿する等の不正の方法により、
(一) 昭和三二年分の被告人浜井伍一の所得金額は五、六〇一、三一八円(別紙修正損益計算書(三)参照)でありこれに対する所得税額は二、二三三、八〇〇円であるのにもかかわらず、昭和三三年三月一五日までに所轄金沢税務署長に対し確定申告書を提出せず、よつて右所得税額二、二三三、八〇〇円をほ脱し、
(二) 昭和三三年分の被告人浜井伍一の所得金額は五、二三二、四三九円(別紙修正損益計算書(四)参照)でありこれに対する所得金額は一、八二六、五八〇円であるのにもかかわらず、昭和三四年三月一五日まで所轄金沢税務署長に対し確定申告書を提出せず、よつて右所得税額一、八二六、五六〇円をほ脱したものである。
(証拠の標目)
判示冒頭の事実につき
一、第二回公判調書中被告人浜井伍一の供述記載
一、大蔵事務官の被告人浜井伍一に対する昭和三四年一二月一一日付質問顛末書
一、昭和精工販売有限会社の閉鎖登記簿謄本一通
一、押収してある会社登記関係書類綴一冊(昭和三七年押第六七号の一)
判示第一の(一)、(二)の各事実につき
一、被告人浜井伍一の検察官に対する昭和三五年一〇月二一日付、同月二六日付、同月二七日付、(四通)各供述調書
一、大蔵事務官の同被告人に対する昭和三四年一二月八日付、昭和三五年二月一三日付、同年三月一〇日付、同月一一日付、同年七月七日付、同年八月一七日付各質問顛末書
一、第一一回公判調書中証人伊藤輝男の供述記載
一、大蔵事務官の伊藤輝男に対する質問顛末書
一、第九回公判調書中証人上山久男の供述記載
一、上山久男の検察官に対する供述調書
一、第五回公判調書中証人宮崎忠夫の供述調書
一、宮崎忠夫の検察官に対する昭和三六年三月五日付供述調書
(丁数一一丁分)
一、第一五回・一六回公判調書中証人高野良平の各供述記載
一、大蔵事務官作成の金沢国税局長に対する昭和三五年八月二五日付、同月二七日付、同月二九日付、同月三〇日付、同年九月一日付(三通)各復命書
一、押収してある試算表綴二冊(同号の五の一・二)、計算書綴一冊(同号の六)、売掛帳一冊(同号の七)、買掛帳一冊(同号の八)
判示第一の(一)の事実につき
一、大蔵事務官作成の被告人会社の自昭和三一年九月一日至昭和三二年八月三一日事業年度分法人税額確定申告書写
一、大蔵事務官作成の被告人会社に対する同事業年度分法人税更生決議書写
一、金沢国税局長作成の被告人会社に対する同事業年度分法人税再更正決議書
一、押収してある総勘定元帳一冊(同号の二)、源泉徴収簿二冊(同号の三の一・二)、売上帳一冊(同号の四)買掛金元帳一冊(同号の九)、領収証綴三冊(同号の一〇、一一、一二)、納品書控綴二冊(同号の一三、一四)
判示第一の(二)の事実につき
一、大蔵事務官作成の被告人会社の自昭和三三年九月一日至昭和三四年八月三一日事業年度分税額確定申告書写
一、金沢国税局長作成の被告人会社に対する同事業年度分法人税更正決議書
一、押収してある総勘定元帳二冊(同号の一五の一・二)、売掛金台帳二冊(同号の一六、一八)、売上帳四冊(同号の一七、二五の一・二、二六)、買掛金未払金台帳一冊(同号の一九)、仕入帳一冊(同号の二〇)、経費明細帳一冊(同号の二一)、貸金台帳一冊(同号の二二)、会計伝票綴二七冊(同号の二三の一ないし二七)、売掛帳一冊(同号の二四)、振替伝票綴一〇冊(同号の二七の一ないし一〇)、手帳(北国銀行発行のもの)一冊(同号の二八)、諸計算書等綴一冊(同号の二九)、領収証綴五冊(同号の三〇、三四ないし三七)、領収証等綴一冊(同号の三一)、売掛帳抜萃一綴(同号の三二)、買掛帳抜萃一綴(同号の三三)、納品書控綴一冊(同号の三八)
判示第二の(一)、(二)の各事実につき
一、被告人浜井伍一の検察官に対する昭和三六年三月八日付、同月一〇日付各供述調書
一、大蔵事務官の被告人浜井伍一に対する昭和三四年一二月八日付、昭和三五年一月二七日付、同年二月二日付、同月三日付、同月一八日付、同年九月一五日付、同年一〇月一日付各質問顛末書
一、被告人浜井伍一作成の昭和三五年三月二九日付、同年七月二七日付各上申書
一、第四回・五回・六回公判調書中証人宮崎忠夫の各供述記載
一、宮崎忠夫の検察官に対する昭和三六年三月五日付(丁数各一四丁分)各供述調書
一、第一二回・三〇回公判調書中証人山田純郎の各供述記載
一、上山久男の検察官に対する供述調書
一、大蔵事務官の上山久男に対する昭和三五年八月五日付各質問顛末書
一、第一三回・一四回・三一回公判調書中証人小泉渥の各供述記載
一、大蔵事務官作成の金沢国税局長に対する昭和三五年九月二九日付、同月三〇日付、同年一〇月三日付(三通)、同日付(二通)各復命書
一、大蔵事務官作成の各銀行調査報告書
一、大蔵事務官作成の各所得調査簿写
一、金沢税務署長作成の「浜井伍一の確定申告について」と題する書面
一、押収してある総勘定元帳三冊(同号の二、一五の一・二)、振替伝票綴一〇冊(同号の二七の一ないし一〇)、貸付営業日報一冊(同号の三九)、大形手帳一冊(同号の四〇)、石川証券金融株式会社総勘定元帳二冊(同号の四一の一・二)、利息計算書一綴(同号の四九)、メモ一枚(同号の五一)
判示第二の(一)の事実につき
一、大蔵事務官の竹多為治に対する昭和三五年一月一六日付質問顛末書
一、大蔵事務官の明石宗一に対する質問顛末書
一、大蔵事務官の小柳武男に対する質問顛末書
一、中村修作成の回答書
一、押収してある領収証綴一冊(同号の三〇)
判示第二の(二)の事実につき
一、大蔵事務官の竹多為治に対する昭和三五年三月三日付質問顛末書
一、竹多為治作成の上申書
一、石原喜久二作成の上申書
一、田中毅作成の上申書
一、玉野友哉作成の上申書
一、山本謙二作成の上申書
一、押収してある売上帳一冊(同号の二六)、諸計算書綴一冊(同号の二九)、約束手形五通(同号の四五の一ないし五)、売買契約書一通(同号の四六の一)、土地売買契約書一通(同号の四六の二)、三洋観光開発株式会社関係書類一綴(同号の四八)
(争点についての判断)
一、法人税法違反の各公訴事実について
(一) 旅費および滞在費
弁護人は、被告人浜井が東京都へ出張するにあたり被告人会社から支給を受けた旅費および滞在費のうち昭和三二事業年度分(自昭和三一年九月一日至同三二年八月三一日)として四九二、〇〇〇円、昭和三四事業年度分(昭和三三年九月一日至同三四年八月三一日)として五〇五、〇〇〇円を各当該事業年度における損金として控除すべきである旨主張するので判断するに、前掲各関係証拠に被告人浜井の当公判廷における供述及び第二四回公判調書中証人野上修の供述記載、第三〇回公判調書中証人山田純郎の供述記載を総合すると、弁護人主張の各金額はいずれもいわゆる公表帳簿である試算表綴(昭和三七年押第六七号の五の一、二)中には記載されていないが、被告人会社は昭和三一年頃からスプリングや鋳物製品の製造・販売を始めて次第に業績を挙げ、昭和三二年三月頃には東京都方面での販路拡大を企図して東京都下新橋二丁目所在「甘粕ビル」内に出張所を開設するに至つたが(昭和三三年六月頃東京都下神田錦町所在「長島ビル」内に移転。)被告人浜井は被告人会社の事実上の代表者あるいは代表取締役として右出張所の開設準備あるいは同出張所における業務に従事すべく昭和三二・三四両事業年度とも毎月平均二回当り東京都へ出張し、その都度七日間位都内に滞在し、これに対し被告人会社は製品のいわゆる簿外売上の操作により作出した別勘定中から社内旅費規定に従つて旅費および滞在費として昭和三二事業年度には四九二、〇〇〇円、昭和三四事業年度には国税当局が認容した七五、〇〇〇円の外五〇五、〇〇〇円を被告人浜井に支給したことが認められるから、弁護人主張の各金額はいずれも各当該事業年度における被告人会社の損金として控除すべきである。
(二) 簿外仕入について
次に弁護人は、被告人会社は東京出張所において昭和三二事業年度に山口シヤフト製作所(当持東京都千代田区神田福田町一三に所在。)から丸棒三六〇、〇〇〇円を、昭和三四事業年度に小川製作所(当持東京都江東区深川高橋四の一三に所在。)から光学機械主要部品用鋼材三一九、七二〇円をそれぞれ簿外仕入しているから、右各仕入額を各当額事業年度における損金に算入すべきである旨主張するので判断するに、大蔵事務官の被告人浜井に対する昭和三五年二月一二日付質問顛末書中には「東京出張所の方では昭和三二年八月頃より昭和三四年一月頃にかけて総額約三十六万円位の鋳物類を仕入れたのですが、公表帳簿に記載しなかったと思います。」(記録三、〇九三丁)との供述記載があり、また同年七月七日付質問顛末書にも「東京では・・・・・・鋳物部品を一部仕入れた事があります。仕入先は七塚鉄道鋳物、佐久間木型製作所、山口シヤフト、小川製作所等であります。」(記録三、一二五丁)とあり、更に前掲証人野上修の供述記載中にも被告人会社が東京都内で鉄材を仕入れたことがある旨の証言があつてこれらを総合すると、被告人会社が東京出張所において簿外仕入を為したことがあることを一応窺れるのであるが、右の各供述記載はいずれも右に引用したところから明らかな如く仕入時期および仕入先が不特定であり、また野上修は当時被告人会社の社員ではなく被告人会社の東京出張所と事務所を共用していた他社の社員であつて同出張所業務内容を具体的に知り得る地位になかつた者であるのみならず、その証言内容自体具体性を欠き未だ推測の域を出ないので、これらの各証拠をもつてしても弁護人の右主張を肯認し得ないところ、第一五回及び一六回公判調書中証人高野良平の各供述記載によると、同証人が国税局係官として被告人会社の調査査察にあたつた際に弁護人主張に係る各簿外仕入の取引先につき被告人会社の申出にもとづき調査しようと試みたが、その所在すら発見できなかつたことが認められ、更に証人太原政雄に対する受命裁判官の尋問調書によると同証人が被告人会社の立場に立つて調査した際にも弁護人主張に係る各簿外仕入金額についてはなんら金額算出の具体的根拠がなかつたことが明らかであつて、これらの事実に照すと、弁護人の右主張は到底採用することができない。
(三) 交際贈答費について
弁護人は、被告人会社は昭和三二事業年度に当時の北国新聞社主事上山南洋こと上山外二に対し五〇〇、〇〇〇円を実弟の上山久男を介して贈与したが、右は当時被告人会社が倒産後の新設会社であつたところから北国新聞紙上に会社の事業内容につき好意的記事を掲載してもらうことによつて経済界並びに銀行筋に対する信用回復を図る目的で為したものであるから広告宣伝費もしくは交際贈答費として当該事業年度の損金として控除すべきである旨主張する。
しかして、前掲関係各証拠に被告人浜井の当公判廷における供述及び受命裁判官の太原政男に対する尋問調書によると、昭和三二事業年度内に被告人会社の社員上山久男が自己の実兄で当時北国新聞社主事であつた上山外二のため被告人浜井に頼んで被告人会社の富山銀行金沢支店に対する定期預金口座中から五〇〇、〇〇〇円を引出し、これを上山外二の借財の弁済に充てたこと並びにその頃北国新聞紙上に被告人会社の事業内容・生産設備内容等を紹介する記事が掲載されたことは認められる。
そこで右五〇〇、〇〇〇円の性質を検討するに、前掲各証拠および第二七回公判調書中証人上山外二の供述記載によれば、被告人浜井は上山外二とは旧知の間柄であるばかりか昭和三一年一月頃に二〇〇、〇〇〇円を個人的に贈与して経済的援助を与えており、また本件当時上山外二は北国新聞社の取締役で副主筆の地位にあり社内外における自己の向上を図つていた折柄多額の交際費を必要としていたもので、その援助方を上山外二に代つて実弟の上山久男が被告人浜井に申出たものであることが認められ、被告人浜井自身も右申出を受入れた理由を「当時私は南洋氏を県庁その他官公署等に顔の利く人であり金を差し上げておけば将来昭和精工として何かと頼み事がある場合に聞いて貰う事も出来好都合だと思つたのです。」(昭和三五年一〇月二六日付検察官面前調書)と説明していて、被告人会社の紹介記事等の掲載方その他被告人会社のため特定事項を格別上山外二に依頼した形跡は窺われないので、これらの事実から見れば前記認定の掲載記事と本件五〇〇、〇〇〇円とがあながら対価関係に立つているものとまでは認め難く、他に同類の記事が北国新聞に掲載された事実も認められないから、本件五〇〇、〇〇〇円は被告人浜井の上山外二に対するいかば政治献金的性格のものと認めるのが相当であつて、到底広告宣伝費あるいは通常業務上必要とする交際贈答費その他必要経費として損金に算入すべきものとは認められないから、弁護人の右主張は採用することができない。
(四) 雑損失金について
弁護人は、被告人会社は、(1)東京都方面での企業拡大を企図して被告人会社と同種の機械工業を営み製品の販路も類似していた東山機械工業株式会社と業務提携すべく同社に対し三〇〇、〇〇〇円の株式払込をしたところ、昭和三四年五月に至り同社が倒産したので結局右払込株式は無価値となり、(2)また、東京出張所を同年二月頃閉鎖した際同出張所が設置されていた前記長島ビルから敷金返還分四五〇、〇〇〇円を被告人会社に代つて東山機械工業株式会社代表取締役湊祥一が受領したところ、同人がこれを着服横領したまゝ同社の倒産と共に所在不明となつたので、右各金額はいずれも昭和三四事業年度における損金に算入すべきである旨主張する。
そこで検討するに、第二四回公判調書中証人野上修の供述記載、第三〇回公判調書中証人山田純郎の供述記載及び前掲証人太原政雄に対する尋問調書によると、(1)東山機械工業株式会社は昭和三四年五月頃ボルト・ナツトの製造販売並びに鉱山用機械の設計製造を営業目的として資本金一〇〇万円で設立されたものであるが、前記認定のとおり被告人会社は一年前から東京出張所を開設し東京方面での営業拡大を企図していた折柄、偶々被告人会社の役員と東山機械工業株式会社の役員とが知合い同社に東京出張所事務室の一部を貸与すると共に営業目的が同一種目に属していたので同社の紹介を得てあるいは同社を通じて製品の販路拡大を図る目的で被告人会社の裏勘定中から三〇〇、〇〇〇円を同社に出資しその株式を保有するに至つたが、同年五月頃同社が倒産し保有株式が無価値に帰すると共に出資金は回収不能となつたこと、(2)また、被告人会社が前記長島ビルの一室を賃借して東京出張所を開設した際同ビル所有者に対し裏勘定中から支払つた敷金五〇〇、〇〇〇円のうち四五〇、〇〇〇円を昭和三四年春頃同出張所を閉鎖するにあたつて返還を受け、東山機械工業株式会社の代表取締役であつた湊祥一が被告人会社に代つてこれを受領したところ、同年八月頃東山機械工業株式会社が倒産すると同時に同人が所在不明となり、そのまゝ被告人会社は右四五〇、〇〇〇円を受領していないこと、の各事実が認められ、右各事実に照すと弁護人主張の各金額はいずれも被告人会社の昭和三四事業年度における損金として控除すべきである。
(五) 棚卸について
弁護人は、昭和三二・三四両事業年度とも被告人会社が採用した貸借対照表並びに損益計算書に計上している各期末棚卸残高はいずれも八月二五日現在の数額であるから、検察官主張の八月三一日現在における棚卸残高との差額、即ち昭和三二事業年度については五六八、五五五円、昭和三四事業年度については一、四二一、九六〇円をそれぞれ当該各事業年度における利益金額から減額控除すべきである旨主張する。
なる程第九回公判調書中証人上山久男、第一一回公判調書中証人伊藤輝男および第三〇回公判調書中証人山田純郎の各供述記載中には、被告人会社の売上げ、原材料の注文あるいは賃金計算等を毎月二五日に締切つていた関係から毎月二五日を棚卸基準日としていた旨の弁護人の主張に副うかの如き供述記載部分が存するが、右各供述部分はいずれも各記載を全体的に検討すれば明らかな如くそれ自体のうちで矛盾し相反する供述中に主として弁護人の誘導的尋問の結果引出された孤立的なものにすぎず措信し難いものであるのみならず、却って第一五回公判調書中証人高野良平の供述記載および押収してある試算表綴二冊(昭和三七年押第六七号の五の一、二)、元 一冊(同号の一五の二)、売上帳三冊(同号の三五の一、二及び二六)に上山久男及び伊藤輝男の前同各供述記載を併せ考えると、被告人会社は毎月末における営業成績を把握する目的で右各試算表綴を作成し、これに対応させて毎月の棚卸高も毎月末現在における数額を採用していたことが明らかであるから、昭和三二、三四両事業年度における各期末棚卸残高はいずれも八月三一日現在を基準として算出したものと認められるので、弁護人の右主張は採用することができない。
二、所得税法違反の公訴事実について
(一) 弁護人は、被告人浜井の所得とされているもののうち金融業による営業所得は法人としての設立登記を了し石川県知事による金融業の営業認可を取得している石川証券金融株式会社がその営業活動によつて取得したものであるから当然同社に帰属するものである、仮にしからずとしても同社は被告人会社の簿外預金によつて運営されていたものであるが被告人浜井と被告人会社間に消費貸借契約が結ばれていた形跡もないから強いて言えば同社の営業所得は被告人会社に帰属すべきものであつて、いずれにしても被告人浜井の所得ではない旨主張する。
そこで検討するに、前掲関係各証拠に第二一回公判調書中証人明石宗一および同福島源一の各供述記載、第回公判調書中証人小森順一の供述記載、第二三回公判調書中証人鶴見他四郎および同富屋五郎の各供述記載、第二四回公判調書中証人山口勇の供述記載を併せ考えると、以下の事実を認めることができる。
(1) 被告人浜井は予てより所有していた個人資産約七〇、〇〇〇、〇〇〇円を活用すべく昭和三〇年九月頃から営業認可を得ないまゝ右個人資産を資本として金融業を営み始めたが、当時石川県下には証券類を担保に金融を行う業態がなかつたところから次第に証券金融を営もうと考えるに至つていたところ、同年一二月頃兼六証券株式会社(当時金沢市下松原町に所在。)に勤務し金融業に経験と知識を有していた宮崎忠夫から「会社組織にしてやらないともぐり業者みたいになつてしまうから会社をこしらえて正式に登録してやつてはどうか。」との提案をうけ、被告人浜井の方もその頃倒産会社(旧昭和精工株式会社)関係の債務処理が未了で債権者の追及を受けていたこともあつて自分が金融業の表面に立つのを避けたい意図もあつたので、宮崎忠夫の提案を受入れて証券金融を目的とする会社を設立することとし、昭和三一年一月頃石川証券金融株式会社(代表取締役上山久男、資本金一〇〇万円)の設立登記を了すると共に同社名義で石川県知事から金融業の営業認可を得て金沢市下百々女木町の上山久男方に事務所を設け、その後間もなく右上山に替つて代表取締役に就任した宮崎忠夫が専任となつて営業活動を開始するに至つた。
(2) しかしながら、右事務所とは名ばかりで金融業の看板すら掲げておらず、また同社の資本金一〇〇万円は被告人浜井が全額負担して払込んだので株主は事実被告人浜井一人であつて宮崎忠夫は形式的に株主として名をあげられていたにすぎなく、更に被告人自身は役員に就任していないが、代表取締役となつた宮崎忠夫は前述の如く株式を保有していたわけではないから会社から利益配当を受けていたわけでもなく、単に使用人として給与を受けていたもので、まして他の役員たるや形式的に登記簿上その名義を連ねていたにすぎない。そして、貸付資金は主として被告人会社が簿外売上分を除外して北国銀行南町支店に伊藤輝夫名義で設けていたいわゆる裏預金中から支出していたが、なをも資金が不足する場合には随時被告人浜井の個人資産の提供を受けていた。
(3) しかして、同社の貸付ならびに担保設定は若干の例外を除き同社名義で行つていたものの、大口貸付は被告人浜井から指示のあつたものに限られており、宮崎忠夫の専権で貸付を行つていたのは小口のものにすぎず、また抵当権設定の要否についても逐一被告人浜井の指示を仰ぎ、同社名義で取得した抵当権設定証書や手形等も被告人浜井において把握保管し、更には貸付金を回収し利息金を受領した際には当時同社が宮崎忠男名義及び架空名義で北国銀行武蔵ケ辻支店に設けていた普通預金口座等に振込むかあるいは被告人浜井に交付するかについても概ねその指示を仰いで処理していたうえ、毎月報告書(前掲計算書綴中の各計算書)を作成して営業実績を報告していた。
(4) そして、同社の経理上の処理についても貸付総額が二〇〇〇万円にものぼつているのに宮崎忠夫はそのうちから資本金一〇〇万円に見合う限度で会社の貸付として公表帳簿に記載し、その他の貸付は会社の公表帳簿には記載していなかったし、また金主である被告人浜井に借受利息を支払うという処理も格別とられておらず、あまつさえ同社の営業利益金中から被告人浜井の指示によりその子息の家庭教師に対する謝礼その他の個人的支出がなされている。
そこで、右認定事実中石川証券金融株式会社が一仰法人としての形式を整え同社名義で営業認可を取得しかつ営業活動を行つていた点を捉え、また被告人浜井が殊更租税回避の目的で同社を設立したとは認め難いことより見れば、同社の営業所得は同社に帰属し従って納税義務者は同社であると言い得なくもないが、右に認定した同社設立の経緯・同社の組織および営業の実態等から見て明らかな如く、同社は被告人浜井が事実上所有しかつその意思によって営業活動が行なわれていたものであり、同社の経理の実態も形式的に法人としての型態を整えていたにすぎず、該営業が法人なる同社としての営業であるのか被告人浜井個人としての営業であるのかを截然と区別しているところが認められないのであつて、これらの点からすれば、同社の実体は被告人が従前から行つていた金融業の営業拡大を図るに当つて法人形式を利用するに至つたものにすぎず、実質的には被告人浜井の金融業が継続し発展したものであつて、被告人浜井個人の営業と認むべき性質のものであつたと言うべきである。しかして、このように法人なる会社としての型態は全く形式的なものにすぎず、その実体が明らかに個人の営業と認められる場合にも、形式的な法形式のゆえに該営業から生じた所得を法人の営業所得として認めなければならないとすることは極めて不条理であつて、かかる場合にはその実体に従つて個人の営業所得として認定するのが正当であると考える。
なお、弁護人指摘の如く被告人会社の簿外裏預金につき被告人会社と被告人浜井との間に消費貸借契約が表面だつて締結されていた形跡は本件関係各証拠上認められないが、被告人浜井は被告人会社の代表取締役であるのにとどまらず本件当時被告人会社の資本の大半を独占的に保有しかつ被告人会社の運営資金の少なからざる部分が被告人浜井の個人資産によつて賄なわれていたことが証拠上明らかな本件にあつては、被告人会社と被告人浜井間でいわゆる店主貸が為されていたものと解するのが相当である。
そうすると、石川証券金融株式会社の営業所得は被告人浜井に帰属する所得というべきであるから、弁護人の主張は理由がなく採用することができない。
(二) 次に、弁護人は、昭和三二年分として二、四六二、二〇八円及び昭和三三年分として一一、四四六、二八〇円の貸倒れが生じ回収不能となつたから、これを被告人浜井の本件所得からそれぞれ控除すべきである旨主張するが、右事実を認むべき具体的証拠はないから、弁護人の右主張は採用することができない。
(法令の適用)
被告人会社の判示所為中第一の(一)の所為は法人税法(昭和四〇年法律第三四号)附則一九条、旧法人税法(昭和三二年法律第二八号)による改正後の旧法人税法五一条一項・四八条一項・五二条に、第一の(二)の所為は法人税法附則一九条、旧法人税法(昭和三三年法律第四〇号)五一条一項・四八条一項・五二条にそれぞれ該当するので、それぞれ所定の罰金額の範囲内で、被告人会社を判示第一の(一)の罪につき罰金五〇〇、〇〇〇円に、判示第一の(二)の罪につき罰金一五〇、〇〇〇円にそれぞれ処することとする。
被告人浜井伍一の判示所為中第一の(一)の所為は刑法六〇条・法人税法附則一九条、旧法人税法(昭和三二年法律第二八号)四八条一項に、第一の(二)の所為は刑法六〇条・法人税法附則一九条、旧法人税法(昭和三三年法律第四〇号)四八条一項にそれぞれ該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同被告人の判示第一の(一)の罪と判示第一の(二)の罪とは刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文・一〇条により重い判示第一の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に処し、判示第二の(一)の所為は所得税法(昭和四〇年法律第三三号)附則三五条、旧所得税法(昭和三二年法律第二七号)六九条一項・七三条に、判示第二の(二)の所為は所得税法附則三五条、旧所得税法(昭和三三年法律第三九号)六九条一項・七三条にそれぞれ該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その各金額の範囲内で同被告人を判示第二の(一)の罪につき罰金二〇〇、〇〇〇円に、判示第二の(二)の罪につき罰金四〇〇、〇〇〇円にそれぞれ処し、右各罰金を完納することができないときは刑法一八条により金五、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用して同被告人に対しこの裁判の確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとする。
訴訟費用中、証人宮崎忠夫(第五回公判期日に出頭した分)、同上山久男、同太原政雄に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文・一八二条により被告人会社と被告人浜井伍一の連帯負担とし、証人宮崎忠雄(第四回および第六回公判期日において出頭した分)、同小泉渥、同明石宗一、同福島源一、同小森順一、同鶴見他四郎、同山口勇に支給した分は同法一八一条一項本文により被告人浜井伍一に負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小沢博 裁判官 寺本栄一 裁判官 川原誠)
修正損益計算書(一)
(自昭和31年9月1日 至昭和32年8月31日事業年度)
<省略>
<省略>
修正損益計算書(二)
(自昭和33年9月1日 至昭和34年8月31日事業年度)
<省略>
<省略>
<省略>
修正損益計算書(三)
(自昭和32年1月1日 至昭和32年12月31日事業年度)
<省略>
<省略>
修正損益計算書(四)
(自昭和33年1月1日 至昭和33年12月31日事業年度)
<省略>
<省略>